チャーミングケアは2019年7月に設立し、この7月で7周年を迎えました。設立記念日にあたる7月1日から、7周年のバースデードネーションを開始しています。
7周年のタイミングで、私たちがどういうスタンスで活動しているのかを、改めて言葉にしておきたいと記事にしました。
▼バースデードネーションページ
https://syncable.biz/campaign/9819
応援の仕方は、フェーズによって違う
病気や障害のある子どもと家族、と一括りにされることが多いのですが、当事者の置かれている状況にはフェーズがあります。
たとえば医療業界では、患者の状態を病態に応じて次のように区分します。
- 急性期:発症直後で集中的な治療が必要な時期
- 回復期:状態が安定してリハビリや社会復帰に向けた治療を行う時期
- 慢性期:病気と付き合いながら長期的に生活していく時期
必要な医療も病棟の機能も、フェーズごとに異なります。
同じように、当事者と家族の生活にもフェーズがあります。
- 治療そのものに向き合っている時期
- 治療と並行して日常や社会復帰と向き合う時期
- 一定の治療を経て自立に向かう時期
それぞれで必要な支援も、周りからの応援の仕方も違います。
治療に向き合っている時期は、当事者に余力がありません。この時期への応援は、治療を支え、生活の負担を軽くする形になります。
一方、日常や社会復帰、その先の自立に向かう時期に入ると、当事者が求めるものは変わります。この時期への応援は、自立に向かう人への並走の形になります。同じ「応援」という言葉で語られがちですが、必要とされるかたちは違います。
チャーミングケアが主に向き合っているのは、治療と並行して日常や社会復帰と向き合う時期、そして治療を経て自立に向かう時期の子どもと家族です。自立をゴールにして、日々を積み重ねている人たちです。
なお、同じ「自立に向かう時期」でも、障害ジャンルには制度と福祉的サポートが明確に存在します。一方で、病気や特性(障害認定を受けていない層)のジャンルには、制度もなければサポートもないのが現状です。チャーミングケアが特にこの手薄になっている層に向き合っているのは、こうした背景があります。
「自立できるはず」の前提が、制度の空白を生んでいる
自立を目指す時期の子どもと家族に、適切な配慮が必要であることは明白です。外見の変化、復学のつまずき、学習の遅れ、進学や就労への接続。どれも、自立に向かうときに実際に立ちはだかるハードルです。
ところが、この時期を支える制度は、ほとんど空白になっています。
理由は2つあると考えています。ひとつは、「この子たちは自立可能だ」とみなされているから。もうひとつは、「そばに伴走できる保護者がいる」という前提があるからです。
確かにその通りなんです。自立できる。保護者もいる。ただ、その前提の上で実際に何が起きているかというと、制度が担うはずの部分を、家庭の自己努力がまるごと引き受けている、という現実です。
さらに、この時期の子どもと家族を支える動きが機関ごとに分断されている、という構造もあります。同じ課題を見ていても、それぞれの機関で捉え方も呼び方も違います。
- 行政:小児慢性特定疾病自立支援事業といった「制度の器」を軸に議論する
- 教育現場:復学支援・病弱児支援・特別支援教育といった枠組み(指導要領や個別指導計画等)に沿って動く
- 医療現場:地域移行・在宅ケア・長期フォローアップ、場合によっては緩和ケアの文脈で意思決定や稼働を行う
- 福祉現場:障害者手帳や療育手帳など認定された人が対象となる。一方で医療的ケアや知的・精神面のケアが明確に該当しない層とは、そもそも接続していない(社会福祉士の学習過程の中にも「病弱児支援のメニュー」という項目はないに等しいのが現状)
それぞれの機関はそれぞれの持ち場で誠実に動いていますが、そもそも接続する枠組みがなかったり、同じ子どもと家族を横断して見る主体がいなかったりします。結果として、当事者と家族が機関の間を自分で行き来しながらつなぎ役を担うことになる。ここも、家庭の自己努力に依存している部分の一つです。
私自身、息子が小児がんに罹患し、10年間彼の伴走をしてきました。わが家にはほぼ年子で3人の男の子がいるので、その違いは如実にわかります。小児がんサバイバーの子への伴走は、いわゆる一般的な子育てのサポートとは、質も量も違うものでした。
それを「その子の個性」と言ってしまえば、それまでかもしれません。でも、個性という言葉に丸め込まれてしまったら反発したくなるような乗り越え方の工夫が、そこには確かにあります。
この自己努力を少しでも緩和したい。それがチャーミングケアの根幹です。
チャーミングケアは、配慮を静かに用意する側でありたい
本来、こうした支援の隙間にいる層への配慮は、当事者が声を上げて要求しなくても、社会の側にそっと用意されているべきものだと考えています。
ただ、この層は、配慮が必要だということが傍目からはわかりづらい、という課題を抱えています。制度上の区分にも当てはまらず、外見からも困難が見えづらく、当事者自身も「これは配慮を求めていい話なのだろうか」と迷ってしまう。だからこそ、配慮を要求する声は上がりにくく、要求されないから社会の側にも用意されない、という構造ができあがっています。
チャーミングケアは、自立を目指す子どもと家族に向けて、適切な配慮を情報や仕組みとして整える活動をしています。当事者を「支援される人」として描くのではなく、自立に並走する立場です。
この立場は、正直に言えば、支援が集まりにくい構造でもあります。株式会社とNPOの中間、いわゆる「ソーシャルビジネス」の形をとるのが筋なのかもしれません。ただ、支援を届けたい対象は極端に少なく、しかも既述の通り、そこを支える制度もなく、当事者が被害者の立場を取るような構図にもなじみません。
寄付市場にも、ビジネス市場にも、行政の支援スキームにも、どこにも乗らない立場だなとつくづく思います。制度の空白と同じことが、寄付市場でも起きている。頑張れる人ほど支援されない、という逆転です。そのなかで、どうにかこうにか、7周年を迎えました。
チャーミングケアは、2025年から助成金の申請などを含むいわゆるファンドレイジング活動を行っていません。非営利型一般社団法人ですので、株式会社のようにVCから資金調達をしたり、銀行から融資を受けるという手法も馴染まないなか、ファンドレイジングも止めるのは頭がおかしいのかと思われるかもしれません。
ただ、上記で説明したように、私たちが向き合っているのは制度も支援の型もない領域です。既存のファンドレイジングの経路は限られていて、そこに乗ろうと思うと、当事者を「支援される側」に固定して、被害者の立場を取る型に寄せていく必要があるように感じています。それは、私たちが伝えたいこととは違うのではないかと。
そのためファンドレイジングの流儀に自分たちを合わせるのではなく、私たちの立場でできるやり方を探しながら、7年目まで来ています。
チャーミングケアの経済的な下支えになっているのは、企業からの受託によるマーケティングや販促に関する業務、そして物販事業の売上です。ただし、物販事業はターゲットを病気や障害のある子どもに絞っているため、非常に薄利です。企業受託の利益を活動に回しながら、なんとか運営を続けているというのが実態で、最低でも自走・最高でも自走という形の運営で正直大変です。
つまり、いま私たちが持っている応援の経路のなかで、個人の方からの直接のご支援は非常に大きな意味を持ちます。
最後までお読みいただきありがとうございます。チャーミングケアの活動に共感いただける方は、バースデードネーションでのご支援をよろしくお願いいたします。

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