3年越しの再会!重症心身障がい児を育てながら新たな一歩をふみだしアンバサダーへ
この春から、チャーミングケアアンバサダーとして活動しはじめたAさん。彼女には2人の娘さんがおり、長女さんは重症心身障がい児で身の回りのケアが必要です。
「長女に出会わなければ知らなかった感情や視野を手に入れ、経験値アップ中なんです!」と話すAさん。どのようなきっかけでチャーミングケアに出会い、アンバサダーとして活動することになったのでしょうか。
チャーミングケアモールが誕生したのは2020年。当時は、病気や障がいのある子ども専門のグッズやお見舞い品を取り扱うECマーケットプレイスがなく、国内初の取り組みでした。
チャーミングケアモールを立ち上げたあと、すぐ代表石嶋の元に一通の手紙が届きました。
それは医療的ケア児を育てるお母さんからの手紙で、「チャーミングケアモールのようなサイトを立ち上げてくれてありがとう」という感謝の言葉とともに、「自分もこういうものをやってみたいけれど、なかなか一歩ふみだせない」という思いが綴られていました。
手紙を読んだときのことを、石嶋はこのように振り返ります。
当時、サービスローンチに際して伴走していただいていた企業の社長やスタッフにそれを知らせたら「サービスを立ち上げて、メディアから連絡があったり取り上げられることはあったとしても、サービスローンチ早々にユーザーからファンレターが届くってことは滅多にあるもんじゃない。このサービスはやはり必要なものなんですね。」と言っていたのを記憶している。
(石嶋瑞穂のnote「自分の化粧品くらいは自分で買えるだけの稼ぎを持ち続けるのが大切 」より抜粋)
その後、石嶋は手紙に書かれていた連絡先にメールを送りましたが、返信がないまま3年の月日が経ちました。
2020年にAさんからいただいた手紙と写真。便箋3枚に手書きでびっしりとメッセージが綴られていました。(Aさんの許可をいただいて掲載しています)
そして2023年の春。大阪府池田市にあるチャーミングケアの事務所で、業務をお手伝いいただくアルバイトを募集することになりました。
「事務所に通勤が可能なこと」という条件だったにも関わらず、病気や障がいのあるお子さんを抱える保護者を中心に、全国から20名ほどのご応募がありました。
お送りいただいた履歴書に石嶋が目を通していると、見覚えのある顔と名前が…それは3年前にお手紙をくださったAさんだったのです。
居住地が大阪ではないため採用はできなかったものの、3年前の感謝を伝えようと、石嶋はオンラインでAさんとお話しすることにしました。
「働きたいという気持ちはあるものの、やはりなかなか一歩がふみだせない」という気持ちを打ち明けてくれたAさんに、石嶋はアンバサダーとして活動することを提案。こうしてAさんは、アンバサダーとしての一歩をふみだしたのです。
「病児や障がい児への日々のケアで、働きづらさを抱える保護者に就労の場を提供したい」という思いから生まれたチャーミングケアアンバサダー。
石嶋には、アンバサダーたちに対するこのような思いがありました。
有償で業務委託契約をしていただいているアンバサダーのメンバーは総勢15名。どうやら、今のわたしのキャパシティではこの人数が有償でお仕事を供給し続ける限界人数だ。
しかしながら、先日大阪城主の上沼恵美子氏が「自分の化粧品くらいは自分で買えるだけの稼ぎを持ち続けるのが大切」とおっしゃっているのを聞いて、わたしも心からそう思う。
ご縁があってアンバサダーとして活動してくださるメンバーの皆さんが自分の化粧品を自分で買える状況を継続していけるように。(ちなみにアンバサダーには男性もいるので、化粧品だけじゃなくてもいいけど)
引き続きわたしはその環境を担保することを、気張っていきたいと思う。
(石嶋瑞穂のnote「自分の化粧品くらいは自分で買えるだけの稼ぎを持ち続けるのが大切 」より抜粋)
Aさんと石嶋の出会いについては、「自分の化粧品くらいは自分で買えるだけの稼ぎを持ち続けるのが大切 」にも掲載されていますので、こちらもぜひご覧くださいね。
チャーミングケアアンバサダーの活動については、こちらのページにて詳しくご紹介しています。なお、現在はアンバサダーの新規募集を締め切らせていただいておりますので、ご了承ください。
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