大人になった「きょうだい問題」 ー涙の理由ー
チャーミングケア ラボで行った「親なきあと」の座談会
この座談会で印象的だったのは、病気や障害のある子どもたちの保護者の方ときょうだいの立場でもある弁護士の藤木和子さんのやりとりだった。
きょうだい支援を長年している「NPO法人しぶたね」の代表清田 悠代さんにも少しお話をうかがった。
「そうですね。きょうだいって、どこまで行ってもきょうだいなんですよね。大人になっても、例えばどちらかが亡くなってしまったとしても、きょうだいであるっていう事実は変わらないんです。」
深い言葉だなと感じた。
*NPO法人しぶたね 啓発イベントにて
わたしの息子たちは3人兄弟で、長男が白血病に罹患した。
長男の入院している約1年間は、下の二人とはコミュニケーションが途切れてしまった。白血病の治療はずっと入院というわけではないので、一時退院やガラス越しではあるが病院内で面会もできたので全く会っていないわけではない。
だけど、当時幼稚園の年長さんだった次男の不満は爆発した。
「なんで病院にばっかり行くの?俺らだって家に帰りたいし、病院ばっかりに付き添って、長男ばっかりずるい!!!」
そう懇願した。(下二人は、長男の入院中祖父母の家で見てもらっていた)
どうにかその環境を変えられないか、病院に付き添いながらも家族に説明をしたけれど「子どもだから大丈夫」という認識が強く、結果的に大人が世話がしやすい方法を優先することになってしまった。
そして次男は、幼稚園での対人関係で問題を起こした。
その時わたしは、ちょうど長男への病気の告知時期も重なり、次男・三男にも詳細に長男に起きている病気の状況について話をした。
三男は幼く、話を理解しているのか否かという雰囲気だったが、しっかりしている次男は涙を流しながらこう言った。
「それは・・・仕方ないな。オレはさみしいし家で過ごせないのは本当に嫌だけど、死なないから大丈夫。そんなに大変なことになっているなら、病院についていてあげて」
わたしは、申し訳なくて仕方なかった。
ごめんな。なるだけうまくまわるように努力するからねと、ぎゅっと次男三男をするのが精一杯だった。
その時のわたしは、長期療養が必要な子どものきょうだいにも支援があることなんて知りもしなかったし、これはきっと「当たり前に母親が乗り越えなければいけないこと」なんだと思っていた。
しかし、長男の闘病に付き添いながら病院の中で病児向けのグッズを販売するECサイトを立ち上げたことをきっかけに色々な情報を目にし、そういった「きょうだいのためのケア」があって、支援をする団体がたくさんあることを知った。
そしてチャーミングケア ラボで先日行った「親なきあと」の座談会で、「大人になったきょうだい」の気持ちについて触れたのだ。
この大人になったきょうだいについての問題は、他でも耳にしている。少し前にお話を聞かせてもらい、掲載許可をいただいたのでここに掲載したいと思う。
涙の理由
*この文章は、取材対象の方にご了解を得て掲載しております。
少し前のことだ。
我が家が闘病に入る前にちょくちょく来てくれていた某メーカーの訪問販売さん。
彼女は我が家の闘病の事は知らなかったので、留守にしている最中もちょくちょく来てくれていたらしく、ごめんねーと事情を話した。
そしてそれがキッカケでわたしが始めたプロジェクトについて話をした。
すると初めて聞いたのだが、なんと彼女は日本で前例のない希少難病のサバイバーだったのだ。
その難病で大人になって出産事例がないらしいのだが、彼女にはお子さんがいる。
そしてさらには、そもそも今もなお生きているのが奇跡なので自分の余命もわからないらしい。
「とりあえず、楽しく生きるしかないですよね。だって、前例ないし。」
と明るく笑う彼女は、とても小柄だけどとても大きく見えた。
わたしの販売しているカテーテルケースを見て、
「私の時にこんなのあったら、きっとお母さん喜んだだろうなー。私は自分が出産する時まで自分の病気の事を詳しく知らなかったんです。その時、あ、お母さん大変だっただろうなって凄い感じました。」
と、なんでも明るく話をしてくれた彼女が涙目になった事が一つだけある。
それはきょうだいの問題だ。
「私ね、姉がいるんですけど、ずっと仲が悪くて。あんたが病気になんかなったせいで…って凄い言われててね。でもどうしようもないじゃないですか…何にも言えないですよね。私は小さい頃に2年間入院していたから、その間は家族バラバラで、姉も小さいからもちろん会えなくて。多分色々我慢してたんだと思うんですよね。ほんと最近ですよ。姉にも子どもができたあたりから、だんだん話をするようになってきたの」
と涙を溜めながら話をする彼女をみて、あぁ…誰も悪くないのに、みんな頑張ってるのにと強く強く感じた。
彼女にわたしが立ち上げているチャーミングケアの話をして、きょうだいにもきょうだいの気持ちがあって、それをケアする活動もある事を話した。
彼女は、
「石嶋さん、私嬉しいです。そういうの知らないで過ごしてきた人沢山いますよ。物にしてもそうだし、そういう活動にしても、きっと疾患の種類なんて関係ないんですよ。みんなに必要な事なんだと思う。とりあえず、私チラシ配りまくります。」
と言ってくれた。
そんな彼女は、小さい頃、医療機器を身につけながら長い期間生活をしていたそうだ。
自分の体に起きているおおよそ大きな異変には気づいていたものの、特に病名や詳しい病気の話は聞かされていなかったのだそう。
しかし彼女は振り返ってこう言った。
「私は知らない方がよかったタイプだと思います。きっと私のお母さんは私のことをよく見ていてくれて、そういう決断をしたんだと大人になってから思います。ただ、きょうだいはね。ちょっと違いますよね。我慢させてしまっていたんだろうなって、すごく思うし申し訳ないなとは思いますね。特に自分が親になって感じます。難しいですね。ホント」
彼女の話を聞いて、わたしはうちの子にも似た部分があるなと感じた。自分の周りで起こっている全てのことを、どこかで客観的に捉えて見ることができるのだ。
それって実は凄いことで、生きていくためのセンスだとわたしは思う。
病気によって全てがハッピーに回っているとは言えないかもしれない。
だけど、生きていくためのとても大切な何かをそこで子どもたちは学ぶんだなぁと改めて感じた。
そして、自分の病気の話をするよりも彼女にとってはきょうだいの問題の方が大きいように思えた。
彼女の涙の理由には、とてももどかしく言葉では表現しようもない色々な思いがあるのだろうなとも、とても強く感じた。
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